



以下より2006年、07年、08年、09年の記録を閲覧することが可能です。
>> これまでの大会記録
FOX FMのジョーはフルマラソンを1回、ハーフマラソンを2回完走したことがあります。
しかし、子どもを産んでからは母親業、仕事などの多忙な生活を理由にトレーニングができなくなっていました。
ジョーは2011メルボルンマラソンの大使になったことをとても喜んでいます。そのことがレースを走るきっかけになるし、トレーニングを始めるきっかけになるからです。
「私には10kmがあっていると思うけど、5km走るぐらいしか時間が取れないの。だから、大会では5kmにしようと思っています。
そして、レース後にはちゃんとトレーニングが出来ていたと思えるようになりたいわ」とジョーは言っています。
スチーブ・モネゲッティはオーストラリアの偉大なアスリートの一人で、世界クラスの長距離ランナーであり、マラソンランナーです。
彼の成功は豊富なトレーニングと類い希な忍耐力のたまものであり、本当に記憶に残るランナーです。
また、彼はこれまでもずーっとメルボルンマラソンに貢献してきましたが、今回は大使として大会を手伝うことを喜んでいます。
「ランニングの最も良い点はそれぞれが自分で目標を立てて、自分のレースをすることができるスポーツだと言うことです。
その意味で、メルボルンマラソンは初心者にも、エリートランナーにも、それぞれのレースを走る機会を与えてくれると思います」
とスチーブは話してくれました。
ロバート・デ・キャステラ氏がクラブ後援者になっているメルボルン・マラソンのスパルタンズクラブがあります。
メルボルンマラソン スパルタンズクラブはレースディレクターのテッド・ポーリン氏とブライアン・ディクソン氏 (前M.L.A.およびメルボルンフットボールクラブのフットボール選手)との協議により1987年に結成されました。
1987年には過去10回のメルボルンマラソン大会をすべて完走した88名の強者の努力が正式に認定されることになりました。ここからスパルタンのコンセプトが生まれました。ポーリンとディクソン両氏は、スパルタンのコンセプトが34年後の現在まで変わらず強固であり続けるとは夢にも思いませんでした。
今やスパルタンの称号は、メルボルンのランニングコミュニティで最も人気のある称号の1つになっています。
スパルタンは現在、特有の緑、金、青、赤、黒、栗色のランニングシャツによって見分けられ、各ランナーのシャツには固有のゼッケン番号が入っています。スパルタンは皆、このランニングシャツをマラソンの功績・献身の象徴として最高の誇りを持って身にまといます。
クラブの記録によると、過去33年間のメルボルンマラソン大会でスパルタンの資格を授与されたランナーの総数は1153名に上ります。メルボルン居住者に限られず、豪州全土や海外のランナーも含まれています。 2010年、4名のスパルタンが合計30回のメルボルンマラソン大会完走の功績を讃えられ、特有の栗色のスパルタンのランニングシャツを贈呈されました。
現在までの全33回のメルボルンマラソン大会(1978〜2010年)を完走した10名のスパルタン(伝説的スパルタンとして知られる)は、背面に「I've done the lot(全大会制覇)」と書かれた特有の黒色のランニングシャツを着用していることで認識できます。
2007年には30回以上メルボルンマラソンを完走したランナーの功績を讃えるためにメルボルンマラソン・スパルタンズ・クラブの殿堂が設立されました。2007年に13名、2008年に8名、2009年に3名、2010年に4名のランナーが殿堂入りし、現在28名が殿堂入りしています。
70年代後半から80年代前半にかけて、多くの大都市がボストンマラソンの成功に続けとばかりにマラソン大会の開催を決めていった。メルボルンはBig Mをスポンサーに迎え、フランクストンをスタートし、ネピアン・ハイウエイを北上してメルボルン・タウン・ホールにゴールするコースで1978年に第1回大会を開催した。当時、ビクトリア州のスポーツ・レクリエーション大臣だったブライアン・ディクソンは1977年のニューヨーク・シティ・マラソンに参加した彼の友人からその熱狂ぶりを聞いて、大会の開催を決めた。2,000人を超えるランナーが、朝早い特別列車に乗ってフランクストンに向かい、この第1回大会に参加した。
ビル・スコット - 10,000mオリンピック・ファイナリスト
エリザベル・ハッセル - オーストリア人で始めて2:40を切った女性
1990年コモンウエルス・ゲームの5000m金メダリスト、アンドリュー・ロイドが1979 - 81に3連覇している。
女性ではビクトリア出身のシェリン・ローズが1998年、2002年、2005年の3回優勝している。
2010年、涼しい気温と無風の好条件の中男女とも大会記録が更新された。
女子ではエチオピアのムル・セボカが2:32.20を記録した。彼女の記録は3回オリンピック代表となったスーザン・ホブソンの記録を67秒更新するものだった。
男子ではケニヤのジャフェット・キプコリルが、ボストン・マラソン4回優勝のビル・ロジャースの持つ記録を4秒上回る2:11:04で優勝した。
彼は2回目のマラソンで、ストックホルムで記録した2時間30分を大きく更新するものだった。
従来の記録はビルロジャースが35歳の1982年のもので、その時はフランクストンからアートセンターへのワン・ウエイで終始追い風という好条件が味方した。
エッセンドンのマイケル・マッキンタイアは41歳の時に2:25.04で優勝している。
ホンコンのWinnie Ngが1994年に2:47.37で優勝した時はスーザン・ホブソンより3ヶ月年長の41歳10ヶ月だった。
シドニーのアンドリュー・ロイドが1979年に2:26.44で優勝した時は20歳だった。
トレーシー・ニュートンが1997年に2:48.32で優勝した時は21歳だった。
1978年の第1回メルボルンマラソンはフランクストンをスタートしてネピアン・ハイウエイをセイント・キルダ・ロードまで北上し、メルボルン・タウン・ホールの前がゴールだった。
1982年〜1991年の間は、フランクストンをスタートしたあとビーチ・ロードを北上し、アーツ・センターがゴールだった。
1992年〜1995年の間は、オリンピック・パークをスタートし、メルボルン市内を走ってアーツ・センターがゴールだった。
1996年〜1999年の間は、アルバート・パークがスタート、ゴールだった。
2000年〜2004年の間は、スタート地点はフランクストンに戻り、ゴールはアルバート・レイクだったが、2005年と2006年のゴールはまたアーツ・センターへと戻った。
2007年にはスタート地点がWellington Parade Sthに、ゴールがMCGに変わった。
2008年にはスタート地点が現在のバットマン・アベニューに変更になった。
2009年にはマラソンコースにボタニカル・ガーデンのバードウッド・アベニューが加えられ、カーファード・ロードが削られることになった。
メルボルンマラソンは33年の間、スポンサー9社によって支えられてきた。
St Georgeは銀行としてははじめて、冠スポンサーとして大会をサポートしてくれている。
最初の冠スポンサーはBig Mで、1978年〜1985年の間、大会をサポートしてくれた。
その他のメインスポンサーは下記のとおりである。
Budget: 1986-1989、Quantas: 1990-94、Vic Health: 1995, 1997、City of Melbourne: 1998-1999 Asics: 2000-2005、Samsung: 2006-2008、St George: 2009-2010
CIty of Melbourneがスポンサーだった時期は彼らが大会本部を取り仕切っていたが、歴代のレース・ディレクターは下記の5名である。
2009年にはオーストラリアで歴代4位となる4,125人がマラソンに参加した。
1983年には6000人を超えるランナーが参加したが、完走したのは4,798人だった。これはいままでのオーストラリアの記録だった。
2010年には5,072人が完走し、オーストラリアでは歴代1位の完走者数を記録した。
1978年の第1回大会では女性の参加は123人だったが、2009年には1,388人の女性が完走し、135人が3時間30分以内を記録した。
2007年にフィニッシュ地点をMCGに移してからはメルボルンマラソンの参加者は増加に転じ、
2009年にはハーフマラソンの参加者が9,000人を超えると共に、全種目合計の参加者は28,396人となった。